新入生紹介 黒川智恵美(D2)
こんにちは。2019年10月より博士後期課程に入学した、黒川智恵美です。6年前に日下部研究室を卒業し、民間企業および大使館などの経験を経て戻ってきました。そして1年が経過したというところです。なぜ6年越しにアカデミックのフィールドに戻ってこようと考えたのか、日本学術振興会特別研究員(DC2)に採用することができた入学後の1年間について振り返ってみようと思います。
日本からスーダンへ
修士課程修了後、国内外の学会や政府・企業の会議などを運営する日本の民間企業にて約3年間就業しました。国際協力とは疎遠の仕事ではありましたが、大学教授や企業の担当者、政府関係者など、様々な職種の方と仕事をすることが出来、非常に貴重な経験でした。また、一つのイベントを通して、営業、広報活動、スケジュール管理、財務管理、運営などのマルチタスク業務を実践から学ぶことができ、価値のある経験ができたなと感じています。その後、専門調査員として2年間、在スーダン日本国大使館で勤務しました。実は勤務が始まるまでスーダンを訪れたことはありませんでした。よってなぜスーダン?とよく聞かれるのですが、修士のフィールドであるモロッコから、他の北部アフリカのイスラーム圏に自分の専門を広めたかったという思いが強かったです。念願叶ってアラブとアフリカが交差するスーダンの首都ハルツームで2年間を過ごし、スーダンの人や文化に触れ、スーダンのことが大好きになりました。
スーダンってどんな国?
「スーダン」という名前を聞いたことがあると思いますが、詳細を知らない人がほとんどではないでしょうか?スーダンはアフリカ北東部、エジプトの南に位置する国です。ナイル川と言えば、想像するのはエジプトですよね?実は、ナイル川は複数の国をまたいでおり、エチオピアとケニア・タンザニア・ウガンダの国境にあるビクトリア湖から始まり、その2か所から流れてくる青ナイルと白ナイルがスーダンの首都ハルツームで合流し、エジプトへと流れていきます。そしてスーダンは砂漠気候で、4月ごろには「ハブーブ」とよばれる砂嵐がやってき、町中がオレンジ色になる日があります。その一方で、南部はサバンナ気候で緑が生い茂り、砂漠とは異なる顔を持ちます。このように風土も多様であれば、民族も様々です。
残念なことに、インターネットで「スーダン」と検索すると、「紛争」などネガティブな言葉が対になって検索欄に出てきます。実際、南北スーダン内戦やダルフール紛争を経験しており、現在も外国人が容易に立ち入ることの出来ない地域が一部あります。また2011年の南スーダン独立をきっかけに、スーダンは多くの石油収入を失い、経済が不安定であることも事実です。2018年12月、主食であるパン、ガソリン、電力などの値段が上がったこと、急激なスーダンポンド安ドル高が進んだことを契機に、民衆の抗議活動が発生し、政権転覆への抗議活動へと発展しました。そして2019年4月、約30年続いた長期政権が崩壊しました。現在、他国や国際機関の仲裁もあり、文民と軍で構成される新政権が発足し、暫定政権としてスーダンの平和と発展に向けて活動しています。
研究者として何かできないか?
2019年の1月までスーダンで勤務していた私は、まさにスーダンの歴史が変わる激動の1年の初期を現地で過ごしました。毎日のように続く抗議活動で思うように外出できない日もありましたが、普段は穏やかなスーダン人たちが自分たちの国のために声をあげている姿に感動せずにはいられませんでした。そして、彼らは抗議活動で武器を使うことはなく、また座り込んで抗議活動を行う人たちに食事を提供する人が現れたり、ストリートチルドレンに勉強を教える人が現れたりと、平和的に、そして助け合って抗議活動を行っていました。ただ感動と尊敬の念を持って、私は遠く離れた日本からSNSで情報を眺める日が続きました。しかし2019年6月3日、軍が抗議活動を行う人たちを強制排除するため武力を行使し、100名以上の非武装の人たちが亡くなりました。その年の6月3日は、イスラームにとって大事な祝日であるイード・アル・フィトルの直後であり、その祭日の後に多くの人が亡くなったことは非常に心が痛みました。こうした出来事から、スーダンをメインに扱う日本人研究者がいない比較教育学の分野で、私が何か出来ることはないか、という以前より考えていた思いが強くなりました。また、修士からお世話になっている日下部先生とは継続して連絡を取っていましたし、卒業後も先生の研究の手伝いや、研究指導を受けていたこともあり、博士課程への進学を決めました。
博士課程後期1年目
前述のような背景と、ハルツームの若者を対象に実施した研究結果(黒川 2019)から、スーダン往還移住民(移民・難民・帰還民)の教育とライフコースをテーマに研究を進めています。ハルツームでの調査では、若者たちがスーダンの現状に対する無益感を感じており、国外への進路に道を見出したいと考えていることが明らかになりました。そこから、実際に国外へ移住したスーダン人はどのような教育活動を行い、ライフコースを形成しているのか?さらに、往還移住民の中でもスーダンへ貢献しようとする者たちの貢献意識・エモーションをスーダニーズネスと規定して、彼らの情動と教育活動の関連性を考察していく予定です。
このような研究計画で、日本学術振興会特別研究員(DC2)に採用されることができました。DC2の準備は、入学(2019年10月)直後から徐々に開始しました。稀なケースだと思いますが、私は修士課程とフィールドを変えたため、2019年11月に周囲にまだ早いのでは、と言われつつもフィールドワークに行きました。想定していたサンプル数をとることはできませんでしたが、研究計画書の起案に必要不可欠なアイディアと情報を得ることができたので、思い切って計画してよかったと感じています。その後、他の奨学金に申し込み、結果は不合格でしたが、修正すべき点、修正すべきではない自身の研究のオリジナリティを確信することができました。そして、2020年3月ごろから、書いては修正し、を提出期限の間際まで繰り返しました。一度完成しても、少しでも違和感を持った記述は、思い切ってその前後を何度も大幅修正する、という様です。また指導教員には何度も見てもらい、アドバイスをもらっては修正し、ということを粘り強く続けたことが採用につながったのではないかと考えます。
スーダニーズネスの着想を得たのは、2019年11月の現地調査でした。彼らのカイロでの生活の辛さや故郷への強い思いに感銘を受けたことがきっかけです。今後、彼らの語りをどこまで論文として書ききれるか、表現できるか、研究者としてその術を磨いていきたいと思います。
参考文献
外務省(2010)「スーダン~多様性に満ちた国」、わかる!国際情勢Vol.59、https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol59/index.html、2020年1月19日アクセス。
黒川智恵美(2019)「スーダン共和国の頭脳流出における高等教育政策改革の一考察:首都ハルツームの若者へのインタビューから」『国際教育協力論集』22(1), 47–60.