服部 拓磨

2018年03月08日

2年間のまとめ

1年時

4月:大学院の授業を受ける。英語での授業についていくために、毎回予習を欠かさず行う。試験はレポート形式で、テスト期間中は参考文献を探すために図書館と研究室の往復の日々を過ごす。

12月 CICEインターンシップでマレーシアの大学生と合同で研究発表会を行う。

3月:就職活動を開始する。

2年時

6月中旬:IT企業から内定をもらい就職活動終了する。

8月:修士論文の中間発表があった。

8月中旬:パキスタンでの調査を行う。

10月中旬:日本に帰国後修士論文を執筆活動を開始する。

1月末:修士論文提出する。

2月中旬:修士論文最終発表会、口頭試問を終える。

3月:卒業式を行う。

 

2年間を振り返って

大学院2年間を振り返るとあっという間に時間が過ぎました。この2年間の間で研究だけではなくCICEでのインターンシップ、中国新聞キャンパスリポーターとして取材や広島フィンランドクラブの創設という活動を行ってきました。

こうして振り返ると大学院の2年間は、学部4年間以上に充実した学生生活を過ごせたと思います。大学院生活で特に印象に残っている経験は、2か月間に渡るパキスタンでのフィールド調査でした。パキスタンにはこれまで3度の訪問経験がありますが、いずれも3週間と短い期間でした。さらに、今回は個人での調査であり、航空券や宿泊先を予約、ビザの申請、調査対象校、現地パートナーを見つける必要がありました。その中でも特に大変だったのは調査対象者への接触でした。

私の研究における調査対象はイスラーム宗教学校マドラサと呼ばれる教育機関です。マドラサはイスラーム圏の国であればどこでも存在する教育機関です。そこでは、宗教教育中心の教育を提供しており、生徒らはイスラーム教の知識を専門的に学べ、その学んだ知識を活かし将来は宗教関係職に就くことができます。本研究では、現代化が進むパキスタン社会において、マドラサ教育がどのように変化が確認できるのかというマドラサ内部の教育改革の実態を明らかにする目標を立てました。そして、研究目標を達成するためには、マドラサ関係者である校長、教師、生徒に対するインタビュー調査が必要でした。

IMG_1243[1]

これまで何度もパキスタンに訪れたことがありますが、マドラサ関係者との繋がりはなく、調査許可をもらえるマドラサを探す必要がありました。渡航前は調査許可が簡単にもらえるだろうと安易に考えていたのですが、最初に訪問したマドラサでは「調査を行うことは生徒の学習に支障がでる」という理由で断られました。マドラサでは、生徒が勉強に集中できるように社会との接点を少なくする教育環境を大切にしており、どこの誰か分からない日本人をマドラサ内に入れることを警戒したようです。その後、調査対象校を見つけては訪問して調査許可を求めましたが、いっこうに調査許可は下りず途方に暮れる日々を過ごしました。ビザの関係で調査期間に制限があり、一刻も早く調査対象校を見つけ出す必要がありました。

そこで、調査に応じてくれるマドラサを探すために、地元の教育省や住民にマドラサの情報を集めるために聞き取りを行いました。さらに、マドラサに対して自分は危険な人ではないと証明してもらうための現地ガイドを探しました。聞き込みで集めた情報とガイドの助けによって、ようやく調査を受け入れてくれる男子マドラサが見つかりました。しかし、一校だけの調査では十分な情報が集まりません。そこで、調査対象校を増やすために調査許可をもらえた校長から他のマドラサを紹介してもらう方法で調査校を増やすことにしました。そうして、確実に調査ができる対象校を見つけていき、最終的に2か月間で3校の男子マドラサ、2校の女子マドラサに対して調査が行えて、合計35人へのインタビュー調査ができました。

2か月間の調査で学んだこと

2か月間にわたるパキスタンでの調査で学んだことは、「どんな状況にも柔軟に対応する考え方」と「インフォーマントとの信頼関係構築の重要性」でした。

パキスタンでの調査中、マドラサでの調査許可が起きないことだけではなく、警察署に呼ばれての事情徴収、頻繁に起こる停電、移動車のパンク等の常に想定外のトラブルに巻き込まれました。それらのトラブルは日本でどんなに準備をしていても避けられません。これらの経験を通じて途上国で調査を行う上ではどんなトラブルに対しても柔軟に対処していく姿勢が必要だと気付きました。その姿勢を身に着けるためにはトラブルを楽しんでいく思考が必要だと思います。例えば、私の場合は、部屋のシャワー室が壊れてしまい使えなくなるトラブルがありました。ただ、このトラブルも「じゃあ川で体を洗えばいいのか!!!村の人と同じ生活をすることができる。」とポジティブに考えました。最初、村民は謎の日本人が川で体を洗う姿を見て不審がっていましたが、毎日川に通うことで知り合いも増えていき、いつしか川で体を洗う仲間もできました。時々、体洗いが終わった後に川仲間が家に招待してくれました。お茶を飲みクッキーを食べながらパキスタンの社会についていろいろ話を聞くことができました。このように、どんなトラブルもポジティブに考えて乗り越えていくことで、新しい発見につながることもあります。途上国での調査ではトラブルを避けることは出来ません。どんなトラブルがあるのかと不安になり動かなくなるのではなく、時々でどのように対応するのかを考えていくことが重要です。

また、調査で大切だと考えたことは、インフォーマントとの信頼関係です。信頼関係が弱いと質問に対する回答の内容が薄っぺらいもとになりがちです。例えば、マドラサで「非宗教教育を教えることについてどう思いますか?」という質問で、「非宗教教育は必要だと思います。なぜなら、現代社会に必要だから。」という回答が多くありました。もちろん、本人はそう思っているのですが、研究として分析するためにはその回答だけでは十分ではありません。一方、何度も訪問を重ね、ある程度の信頼関係があるマドラサ校長は同じ質問に対して、「非宗教教育を教えることは必要である。しかし、そのためには、これまで無償であった授業料を有償にしたり、カリキュラムや使用教科書を変える必要があった。」とマドラサ改革の実態をより鮮明に語ってくれる者がいました。その校長は他の質問に対してもより具体的に、時にはマドラサの運営状況や教師との関係など教えてくれました。そのような語りが聞けたのも信頼関係があったからだと思います。インタビュー調査では、質問の仕方や聞き方などのテクニックも大切です。しかし、この経験を通じて、インフォーマンとの信頼関係を築くことが一番大切だと思いました。校長とは今でもFacebookを通じて関係が続いています。いつかパキスタンに行くことができれば、また会いたいと思います。

IMG_1338[1]

帰国後は大急ぎで集めてきたデーターを分析して修士論文を執筆しました。分析が思うようにできない、学術的な日本語が書けないなど想像してた以上に執筆が進まず、研究室に泊まり込んで論文を書いたこともありました。帰国から論文提出までの3か月は「本当に自分は書き終えることができるのかという」という不安があり本当に苦しかったです。そんな苦しい時間を耐えられたのも日下部先生による指導や、同級生、先輩、後輩の励ましがあったからです。1月30日の最終提出日には何とか形にして提出することができました。2年間の大学院生活を振り返ると楽しいことだけではなく、苦しいこともたくさんありました。ただ、その経験を乗り越えて学部時代の自分よりも一つも二つも成長できたと思います。

IMG_2230[1]

最後のメッセージ

これから大学院に入学される方へ。

「大学院の2年間ではこれを成し遂げたい」と自分が納得できる目標意識を持ち、入学することで大学院生活はより充実したものになると思います。また、その目標は大学院でしか得られないものが良いです。例えば、「~をもっと勉強したい」、「~の国のことを知りたい」もちゃんとした目標なのですが、それは大学院でしか学べないことでしょうか。

大学院とは、学問を深く学ぶ場所です。大学院入学を考える際に、自分も目標を達成するために大学院進学は果たして最善の決断なのかを何度考えてみてください。その為には、自分はいったい何がしたいのかを考え、そのために必要なことを大学院で得られるのかを大学院の先生や知り合いの大学院生に相談するなど行動してみてください。自分の中で貴重な時間とお金を費やす価値があると判断出来たら後は入学試験を準備するだけです。少しでも皆さんにとって意味のある大学院生活を過ごせるように心から応援しています!!!

IMG_2032[1]