人生の転換期:出産・育児と研究の両立 佐藤仁美

2024年05月29日

 初めまして。2024年3月、広島大学大学院 人間社会科学研究科 教育科学専攻 国際教育開発プログラムの博士課程前期を修了した、佐藤仁美です。私は勤めていた教員を退職、大学院入学、結婚、出産、修了、という人生における転換期を経験しました。それらが詰まった怒涛の2年間をここで振り返りたいと思います。現在、お仕事をされているけれど復学したいと思われている方、大学院進学したいけれど妊娠・出産・子育てもしたいと思われている方、JICA海外協力隊OVで帰国後悶々とされている方(笑)の参考になれば幸いです。

英語教諭としての経験、青年海外協力隊の経験、教員の退職まで

 私は愛知県の大学を卒業したあと、公立中学校で9年間英語の教員をしておりました。その間の2018年~2020年、夢だった青年海外協力隊になり、タイの人身取引被害者保護福祉センター(人身取引被害者のためのシェルター)で、被害者に英語や日本語、HIV/AIDSやキャリア教育のアクティビティなどを行いました。帰国後、教員に戻り、尊敬する素晴らしい先生方や真っ直ぐでかわいい子どもたちと共にコロナ化を過ごしました。教員人生もやりがいがありましたが、タイで出会った被害者やサバイバーのことが頭から離れませんでした。大学院進学にも興味があったので、「人身取引 大学院 教授」をキーワードに検索し、日下部先生が出てきました。

当時31歳。初めて日下部先生とお話ししたとき、人生計画として、進学だけでなく結婚や出産も諦めたくない旨を、恐る恐る正直に伝えました。そしたら「できるできる!先輩にも何人もいるから。」と、意外にもあっさり、かつ、力強く背中を押していただき、とても嬉しかったのを覚えています。そして、「こっちに飛び込んでくれたらあとは俺が全て責任を取るから。」という言葉をいただいたとき、日下部研究室で新たな人生を送る決断をしました。

1年目 ~好きなことを好きなだけやれる幸せ~

先生や先輩方から、修士課程は最初の6か月間で卒業に必要な単位をできるだけ取ってしまえば、後半は研究に集中できるとアドバイスを頂いていたので、私も入学して最初の半年は単位取得のため、ほぼ毎日、朝から晩までずっと研究室にいました。たくさんの課題があるので、気づいたら朝になっていた、なんて日も時にはありました。しかし、研究室の人やゼミ生にいつでも相談できたこと、そして何より復学し、好きなことを好きなだけ勉強できることの幸せを感じていたので苦しくはありませんでした(再び学生に戻るって、最高に贅沢で楽しいです)。また、IDECには世界中から留学生がたくさん来ており、ここでは日本人の方がマイノリティという珍しい環境です。チームワークが必要な課題やプロジェクトをした際、最初のうちは時間調整など研究以外の面で難しく感じたこともありましたが、新しい発見や発想、学ぶことがとても多く、切磋琢磨できるたくさんの仲間と出会うことができました。

日下部ゼミでは、授業以外にも様々な活動がありました。あるときはモルディブから教育担当国務大臣が来て、大臣に研修を行い、一緒に広島の小中学校を訪問したり、CICEインターンの活動で2022年8月インドネシア開催のコロキウムに参加し研究発表を行ったり、2023年2月にコロキウムを広島大学で開催しマレーシアやインドネシアの学生と共に研究発表を行ったりしました。様々な人との出会いを通して知見を増やし、研究したことを発表する機会がたくさんあることが日下部ゼミの魅力の1つです。

プライベートでは、結婚し、妊娠しました。実は、夏休み期間中、インドネシア開催で開催された国際学生コロキウムの際、東ティモール人の彼氏がインドネシアのバンドンまで会いに来てくれました。もちろん、日本から遠い国であるうえに、コロナで何年も会えていませんでした。そのとき日下部先生にも紹介しました。この人と一緒にいていいか聞きたかったのです。「大丈夫、君は遊ばれているわけではなさそうだ」というお墨付きをもらいました。先生はさらに、「今回、子どもできるんじゃないかな」ともいいました。その時は笑っていましたが、帰国後、本当に妊娠していたのです!3年ぶりにたった一週間会った期間中に!!

妊娠の報告を日下部先生にしたら、涙を流して喜んでくださいました。「大丈夫!僕の研究室にベビーベッドを置くから。研究するときいつでも使ってくれていい。必ず両立できるよう、赤ちゃんはみんなで育てていこう。」とおっしゃってくださいました。その言葉は私にとって、言葉が詰まるほど嬉しかったです。また、ゼミには博士課程の先輩で、私のように修士課程の時に妊娠出産を経験した方がいらっしゃいました。その先輩には研究者としてだけでなく、母親としてもたくさん相談に乗っていただきました。その方も、妊娠した時は、おそるおそる先生に報告に行ったそうですが、日下部先生は、「それは神様のやることだから、申し訳なく思わなくていいんだ。大変だけど両立をやり遂げろ、ということらしい」といってくれたそうです。私は半年間休学するか迷いましたが、奨学金申請期間との兼ね合いもあったため休学はしないことにしました。幸い、妊娠経過は順調で、つわりなども少なかったので、出産ギリギリまで全力で研究やインターンシップに取り組むことができました。ちなみに、先生は赤ちゃんの性別まで「男の子だ」と断言しました。産婦人科ではどうも女の子ではないかな、と言われたことを伝えても、「うーん、男だな」といいました。結果は男の子でした。後に別の院生が出産する際も、女の子と当てていました。なんとなくわかるらしいです。

妊娠8ヶ月でフィールドワーク、UNESCOインターンシップ

 日下部ゼミでは、フィールド調査が重要です。私の修士論文は、「タイの人身取引被害者のその後 -サバイバーが被害者に戻る訳-」というもので、シェルターを出た後のサバイバーへのインタビューが主なデータでしたので、フィールド調査は必須でした。フィールドワークにいつ出かけるか悩みましたが、先生や先輩と話しているとき、「きついけど、今のうちやね」ということになりました。私も子育てが始まってからよりもお腹の中にいるときの方が良いと判断し、2023年3月~4月、1か月程タイへ行き、合計10県で追跡調査を実施しました。フィールドワークは予想通り?予期せぬことも多々ありましたが(笑)、現地の友人が車を出してくれたり、通訳を手伝ってくれたりしたおかげで、母子ともに元気に無事に終了することができました。何より調査に協力してくれたサバイバーの方々や協力隊時代の元同僚の思いを受け、修士論文に誠心誠意向き合い、この思いを伝えたいというエネルギーになりました。

 また、1月~4月までUNESCO Bangkokでインターンシップをさせていただき、主にデータベース作成や講演会ファシリテートの補助を担当しました。妊娠中だったので基本オンラインでさせていただきましたが、最後の一週間はバンコクのオフィスに出勤しました。あっという間でしたが、遠い存在だった国連を少し身近に感じることができ、素晴らしい上司や先輩、同僚にもご指導いただき、大変貴重な経験になりました。

2年目 ~出産育児と研究~

帰国してから出産までの1か月半は、論文(研究ノート)の執筆と、奨学金申請書類の作成に日々取り組んでいました。これまで、実践に重点を置いてきた私にとって、アカデミックな理論を使って論述することは得意ではありませんでした。しかし、日下部先生は私のフィールドでの経験をいつもしっかりと聞いてくださり、私が伝えたいことをアカデミックな形に整えるための提案をしてくださいました。また、書いたものを見ていただく際は、私も隣に座り、その都度お互いに質問しあいながら、その場で修正していくやり方を取っていました。そのため、とても分かりやすく、次の課題が明確になりました。

そして2024年6月、無事に長男が誕生しました。幸せでいっぱいな気持ちと同時に、産後の疲れと新生児のお世話は大変でしたが、先生やゼミ生を始め、家族やたくさんの友人がお祝いをしてくれ、家に来てくれたりもして、とても嬉しかったです。一か月ほど休憩しました。その後は8月の中間発表会に向けて、パワーポイントや文書を作成しました。先生との打ち合わせでは早速ベビーベッドを使わせていただき、何とか無事に中間発表を終えることができました。

中間発表後は、しばらく育児中心の生活に戻りました。授業は1年目に必要なものを取り終えており、残るはゼミのみでしたので、オンラインも活用しながら、息子が少し大きくなってからは息子、夫と共に対面でゼミに参加しました。先生も「0歳で大学院生だな!」と毎回、息子のことに触れてくださいました。ゼミのみんなは息子が泣いても嫌な顔ひとつせず、むしろ抱っこしてくれたり、あやしてくれたり、私たちをとても暖かく迎えてくれ、大変ありがたかったです。IDECには母国にお子さんがいらっしゃったり、たくさんの兄弟の中で育った方も多く、みなさん英語やそれぞれの言語で温かく話しかけてくださり、あやしてくださったりと、とても居心地の良い環境でした。

10月は、東大・筑波・広大の3大学ゼミが東大で開催されたので、ドキドキしながら初めて親子2人きりで東京に行き、4ヶ月の息子と共にセミナーを受け、他大学の研究者の方々と交流をしました。そこでもみなさん私たちを温かく受け入れてくださりました。また11月には、日下部先生が主催する第13回アジア比較教育学会が広島で開催され、私はポスター発表を行いました。この時は、息子と夫も連れて学会に参加し、夫と交代で息子の面倒を見ながら、発表を行いました。

修士論文の方は、実家の母や夫が息子の面倒を見てくれている間に、タイで取ったデータのトランスクリプト作成を少しずつ進めました。しかし、常に眠たく、集中力も続かず、以前のように思うように進みませんでした。また、10月から保育園を探しましたが、どこもいっぱいで、申請待ちでした。

論文を書く

あっという間に12月半ば。トランスクリプトはまだ完成しておらず、本文に至ってはまだ一行も書いていませんでした。さすがにこのままでは卒業できそうにない、と思い、先生に相談したところ、「大丈夫、大丈夫。とりあえず先に本文を書き始めよう。一生懸命書いていけば十分間に合うから。」と言われ、参考になりそうな先輩の論文を貸していただきました。がんばればまだ間に合うかも、とそこから切り替え、息子を冬期休暇中の夫に預け、私は研究室で本腰を入れて書き始めました。相談したいときはすぐに先生に連絡し、先生はいつでもどこにいても(国外でも時差がないかのように)すぐに返事をしてくださいました。

1月に入り、夫の冬期休暇が終わったあとも、夫の仕事終わりに3人で研究室に行き書き続けましたが、時間が減ったのでペースが落ちました。「実は子どもの面倒が大変でなかなか修論が進みません」といったところ、先生が、「よし!残りは、僕の家で面倒見るから。基本、夜も完全にこちらで面倒見るので、少しは寝て、論文進めて、ラストスパートがんばれ!息子も大事だが、タイで調査に協力してくれた人たちも大事。修論はその人たちとの共同研究だし、それが同じ境遇の子を救うとなれば、こっちも総戦力だ!」と言って、実家の母が広島に来てくれるまでの間、先生ご家族が息子を預かってくださいました。それ以降も度々、今後を見据えてご家族が預かってくださっています。有難すぎる、と感動すると同時に、研究者としてのパッションを思い出させてくださった言葉でした。

そうして先生や、先生のご家族、実家の家族、夫、そして息子、皆さんのご協力のおかげで、何とか無事に修士論文を提出し、最終試験も合格することができました。本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に

この2年間は、本当に中身が濃くて、忙しくも充実しており、人生の転換期の連続でした。修了式では総代として、みなさんに感謝を伝える機会を頂いたので、しっかりこの思いを伝えました。2024年の4月からは博士課程後期に進学することも決定しました。息子も3月から保育園が始まりました。春からも引き続き日下部ゼミでお世話になります。早め早めの執筆を心がけ、これまで以上に頑張りたいと思います。

最後に、お忙しい中、研究でもプライベートでも私たち家族を支えてくださった日下部先生、たくさん相談に乗ってくださり、時には熱い議論を交わしたゼミの先輩や仲間、サバイバーを始めフィールド調査に協力してくれた全ての皆さま、遠い広島まで何度も来てくれた実家の家族、そして全ての過程でずっと私を信じ励まし支えてくれた夫、全ての皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。