コメダ珈琲からはじまる研究人生  黒川智恵美

2023年05月01日

 2023年3月、広島大学大学院国際協力研究科の博士後期課程を、日下部先生のもとで修了した黒川智恵美です。私は入学前、スーダン大使館で専門調査員をしていた経験があるのですが、博士論文は、その専門調査員として2年を過ごしたスーダンに焦点をあて、頭脳流出と頭脳流入を研究の枠組みから、移住経験があるスーダン人高度人材の母国貢献意識の原動力に関する研究を行いました。私の3年半の博士生活の間、世界は新型コロナウイルス感染症の蔓延によって新たな常識や慣習が生まれました。現地調査に重点を置く比較教育学の研究者にとっても、コロナ禍の研究方法には工夫が求められるものであったかと思います。この異例ともいえる環境であったからこそ経験した出来事に触れながら、博士課程の3年半を振り返り、今月中旬より戦火が広がるスーダンにおける今後の研究について思いを述べさせていただきます。

コロナ禍と呼ばれた博士生活

 博士課程入学から1か月後の2019年11月末、周囲からフィールドに行くのは早くないかと問われつつも、私はエジプトのスーダン難民コミュニティの現地調査を行いました。早々にフィールドワークを実施した理由は、一般財団法人国際開発機構(FASID)の奨学金プログラムや日本学術振興会の特別研究員(DC2)に応募するために実際にフィールドでデータを収集すべきだと考えたこともありました。が、なぜか今行っておくべきだと直感的に感じていたことも理由でした。直感は的中し、カイロのスーダン人たちに「また来るね」といって12月にフィールドを離れた翌月2020年1月末、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス感染症の蔓延をうけて、パンデミック宣言を行いました。行っておいてよかったという安堵の気持ちと、これからどうなるのだろという不安の気持ちが交錯しました。

 コロナ禍におけるフィールドワーカーとしての懸念は、いうまでもなくデータ収集にあり、いつになればコロナ前のようにフィールドと日本を行き来して一次資料を入手することができるのかというものでした。おそらく皆さんがそう思っていたように、希望的観測として、今年中にはまたフィールドに戻れるだろうという楽観的な思いもありましたが、それとは裏腹に状況は悪化、4月には緊急事態措置として大学の対面授業が中止となり、密を避けるため、院生室の使用が制限される事態になりました。コロナ禍でどのように研究を進めていくべきなのか、海外渡航開始の目途もわからない不安ばかりが募る一方、DC2の締め切りは刻一刻とせまっていました。その中で日下部先生が提案して下さったのは、学外におけるDC2申請書の指導であり、それが現在は良き思い出話となっている、「コメダ珈琲での指導」でした。先生の家と私の家の中間にコメダ珈琲があり、大学が使えないのなら、カフェでやろうというわけです。当時のスケジュール帳を見返してみると、2日おきに「先生@コメダ」と予定が書いてあります。コロナ禍に普及したZoomを使用するのではなく、「ちえみの研究者人生がかかっているのだから、意図的に対面で指導する」という先生の熱意により、何度もコメダ珈琲で指導を受け、指摘、議論、修正を数えきれないほど繰り返しました。そして結果的に、学振研究員のDC2に採用されました。この制度は、博士後期課程の途中から二年間、日本学術振興会から月額20万の研究奨励金と科研費がいただける、という研究者養成のために整備された制度です。

 まさに私の研究者としての人生はコメダ珈琲から始まったといえるでしょう。実はその後も、研究で行き詰った時や申請書を書く時に、コメダ珈琲で作業をしており、私にとって験を担ぐ場所となっています。

ウィズコロナ期間のフィールドワーク

 とはいえ、一次資料の収集に重点を置いていた私は、なかなか渡航できない状況が続くことに焦りを感じ、オンライン・インタビューを実施、また国内の緊急事態措置やまん延防止等重点措置が解除されたタイミングに、日本国内のスーダン移民・難民と対面インタビューを実施しました。オンライン授業やオンライン会議が普遍化する中、オンライン・インタビューにおいては、ラポール(インフォーマントとの信頼関係)が構築できるのか、実際に会わずにインフォーマントは真実を話してくれるのか、十分なデータが収集できるのか、など、研究者の間に抵抗が少なからずあったように感じます。私の友人や友人の友人をたどって芋づる式にオンライン・インタビューを行った結果、会話のキャッチボールは対面インタビューと劣らないのではないか、という感触を得るほどになりましたが、実際にフィールドを訪問して対面でのインタビューが実現すると、その得られる情報量の違いを認識しました。情報収集において、百聞は一見に如かず、です。

 幸いなことに、博士課程の最終年度に国や大学の海外渡航規制が緩和され、エジプト、スーダンのフィールドに行くことができました。2年ぶりのカイロ、および3年ぶりのハルツームの変化を肌で感じることができ、人々のナラティブが形成される環境を確認する重要性というものを改めて感じることができました。コロナ禍のフィールドに行けないという危機感が無ければ、当たり前の作業だと思って味わえなかった感情だったかもしれません。またフィールドで出会う人々との交流やカジュアルな日常会話は、やはり楽しいものであり、オンライン・インタビューでは体験することのできないものです。

論文を書く

 修士課程において、修士論文以外に論文を書いた経験がなかったので、査読付き論文に投稿するという作業は私にとって立ち向かわなければならない挑戦でした。その作業の中でも、最も苦労したのは英語論文と博士論文でした。

 英語論文は、博士課程1年目にチャレンジしてみようと書き始めたものの、互いにつながり合わない短い文章がいくつもできただけで、英語の苦手意識も相まって、英語論文を書くという作業をいつしか先延ばしするようになっていました。こうした状況を打破するきっかけとなったのは、日下部先生から、JICE(Journal of International Cooperation in Education)のライターズワークショップに参加してみないかと誘われたことでした。ワークショップ参加者は、編集チームからのコメントと英文校正の費用を負担してもらえる特典がある代わりに、JICEへの論文提出が義務付けられており、一人ではできなかった「英語論文を書き終える」という目標を達成する後押しとなってくれました。フィールドワークおよび博士論文執筆と重複して大変な作業ではありましたが、編集チームや査読者の先生方のご指導のお陰で、英語論文を出版することができたことは大いに感謝しています。書いていても始まらなかった私の英語論文は、書ききることでようやく前進することができました。英語の論文は、比較的、イントロ、先行研究の検討、方法論、分析、結論の順序が、日本語よりも明確で、一度書ききることができると、次からも書きやすくなると思います。

 また博士論文は、博士後期課程の集大成であり、今後の研究におけるスタート地点という位置付けだと考えています。その意味では、私のスーダンにおける居住経験やインタビューを通して感じた一つのスーダン人らしさである《生活の向上や自己成長のために移住した、国外でも生活していけるスキルや技能を持ったスーダン人が、スーダンより生活水準の高い生活を捨てて母国に帰り、スーダンの発展に貢献しようとする情意や意志》を「スーダニーズネス」と捉え、解析できたことは、「スーダニーズネス」研究の幕開けを行うことができたのではないかと思います。

 しかし、最も博士論文で難しかったことは、この「スーダニーズネス」という私が作り上げた概念を研究として成立させるところにありました。元々スーダニーズネス(スーダン人らしさ)という言葉は、生成論的な立場から、様々な文脈において表出したスーダン人のアイデンティティを捉えたものであり、概念化の作法に違いがあり、わざわざ規定する必要があるものなのかという指摘を副指導教員の先生方より何度も頂きました。激しく指摘される度に、「スーダニーズネス」を規定化しなければ批判的な指摘を受けることもなく博士論文が書ける、と逃げの姿勢に入ってしまっていたのですが、「新しいことにチャレンジすることに研究の意味がある」、「最初、批判が出るような研究をしなさい」、「せっかく発見したスーダニーズネスを打ち捨ててはならない」と、毎回、日下部先生に激励して頂き、「スーダニーズネス」研究を誕生させることができました。

 そしてうれしいことに私は、博論指導と同時に、やはり日下部先生の指導を受けながら格闘した、学振特別研究員PDという、今度は博士取得後の三年間にわたって、研究奨励金と科研費を受給できる特別研究員にも採用されました。そこでも、スーダニーズネスの言葉で研究することを貫き、文字通り、「スーダニーズネス研究」を誕生させることができたのです。

これからのスーダンを研究する

 私は、PDで受け入れていただいた丸山英樹先生がおられる上智大学に異動し、さあこれから研究を進めるぞ、と張り切っていた矢先、2023年4月15日、2019年の革命以降新たな国造りに向けて動いていたスーダンにおいて最悪のシナリオが起きてしまいました。スーダン国軍と準軍事組織である即応支援部隊(RSF)の衝突です。私が住んでいた、見慣れた町の上空を戦闘機が飛び、よく通っていたショッピングモールの壁は銃痕が残り、知っているスーパーマーケットは兵士たちによって荒らされるという生々しく心が痛くなる動画やニュースばかりが飛び込んできます。友人の安否は確認できていますが、民間人の死傷者も出ており、予断を許さない状況が続いています。外国人が退避し、首都に住む人々が地方や国外に移動する人々の大移動が今まさに起きているのですが、その次、彼らはどこへ向かうのでしょうか。

 私の博士論文は、国外に出たスーダン人高度人材の母国貢献意識についてであり、スーダンに帰国して、国外で得た知識や技術を活用してスーダンの発展に寄与したいという意志を「スーダニーズネス」と規定して、その「スーダニーズネス」の源泉や揺れについて考察したものでした。専門家たちは、今回の衝突が長期化すると予想しています。しかしいつか、スーダンの情勢が落ち着いた時に、必ず「スーダニーズネス」が必要になる時がくると信じています。スーダンという国は、これまでも紛争ばかりが国際社会から注目され、スーダンを研究する地域研究者の数も、他のアフリカ諸国と比較しても少ないといえるでしょう。それゆえ、注目すること、スーダン人のナラティブを残すという作業が重要ではないかと考えています。いつになれば平和なスーダンに戻れるのか今はわかりませんが、教育学研究者としてこれからもスーダンという国に注目し、紛争ではなく、スーダン本来の姿であるスーダンの人々について研究という形で発信していく、という新たな決意をしました。

 最後に、私の博士論文執筆に携わってくださった全ての皆さんにお礼を申し上げたいです。正直なところ、博士論文の執筆期間というのは、誰よりも早く研究室に来て、誰よりも最後まで研究室に残って分析をして、原稿を書く作業に、研究者ってすごく孤独な仕事だな、と感じていました。しかし決してそうではなく、指導してくださる先生方や、相談に乗って困難を分かち合えるゼミの仲間、インタビューに応じてくれたインフォーマント、調査を支えてくれた多くのスーダン人の友人、そして精神的に支えてくれた私の大切な人たちがいたからこそ、論文という成果物を生むことができたのだと思います。本当にありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願い致します、とお伝えしたいです。

2023年4月28日